仕事や家事に追われ、「自分の時間がない」と悩む人に、自分の時間を確保できるようになる方法を伝えます。

二刀流への批判に見る、既存の価値vs新しい価値。

こんばんは、高木です。

思えばここ最近、朝起きたらまず大谷選手の活躍をチェックするようになりました。

ほぼ日課と言ってもいいくらいです。

野球に大して興味のない僕が、
毎日野球ニュースをチェックするようになった。

僕みたいな人は日本中にたくさんいるはずなので、
既存のファンを楽しませているだけでなく、新規の野球ファンを増やした、
という意味でも大谷選手の功績は大きそうです。

テレビでは毎日のようにその活躍が称賛され、
人に厳しい事で有名な(笑)ヤフーコメントも大谷選手への賛辞で埋め尽くされています。

アメリカに渡る前は、メジャーで二刀流なんて無理じゃないか、、、と言われていましたが、
大方の予想を遥かに上回る活躍を見せていますね。

周りの野球好きたちも興奮気味に彼の活躍を口にするので、
多くの野球ファンはこのまま大谷選手が二刀流として活躍する事を願っているようです。

もちろん僕もその中の1人です。

ただその一方で、二刀流に対して未だに否定的な声がある事も事実です。

二刀流に対する批判は、大谷選手が高校生だった時代、
彼が日本のプロ野球に二刀流で挑戦すると言い始めた頃からあります。

プロ入り後、投打の両方で活躍した事でそれもだいぶ収束した感がありますが、
それでもまだ、その批判は根強く残っています。

批判の声の主は専門家、特にプロ野球OBに多いです。

彼らによる批判を聞いてみると、
「どっちか1つに絞らないと、大記録の達成は絶対にできないから。」
というのが大きな理由のよう。

彼らは大谷選手の選手としての能力に懐疑的なわけではなく、
むしろ能力に関しては絶賛しています。

しかしどちらか一方に絞らなければ、野球史に残るような大記録を打ち立てる事はできない。

だから二刀流でいくのは「もったいない」というのが主な論調です。

投手として何勝、奪三振がいくつ、打者としてホームランが何本、安打数がいくつなど、
年間記録や通算記録にこそ価値があり、
それを追い求めるべきだ、と。

確かに記録というのは野球を楽しむ上で大きな要素の1つであり、
記録を楽しみにしているファンは大勢います。

そしてもしこのまま大谷選手が二刀流を続ければ、
大記録の達成はまず間違いなく不可能です。

記録だけを見れば投手としても打者としても、
ごく平凡なものに終わる可能性が高い。

大投手でもなければ大打者でもない、
普通の選手に分類される事になるでしょう。

じゃあ彼が今やっている事は果たして価値のない事なのか、と問われたら、
多くの野球ファンはそうは思わないはずです。

彼のやっている事に大きな価値を感じる人は、すでにたくさんいますよね。

否定する人はめちゃくちゃ批判するし、肯定する人はめちゃくちゃ絶賛する。

これって何と何の対立構造かと言うと、既存の価値観VS新しい価値観の対立なんですね。

つまり、
既存の価値観を採用しているのか、
新しい価値観を採用しているのか、
の違いです。

「記録を追い求めるべき」
というのが既存の価値観。

「まだ誰もやった事がない事に挑戦するべき」
というのが新しい価値観。

さらに言えば、
この場合においては“同じパラダイムの中での優劣”に重きを置いているのが既存の価値観で、
“ユニーク(唯一無二)である事”それ自体に価値を置いているのが新しい価値観です。

記録というのは、同じ条件の中での優劣でその価値が決まります。

野球で言えば、3割を超える打率が高い評価を得るのは、
多くの選手が3割を打つ事ができないからです。

一方でユニークであるというのは、
“他者とは違うパラダイムにいる事”に価値があります。

だから、他と比べる事は難しいです。

同じ事をしている人がいないから、今大谷選手が見せている活躍が、
相対的に見て優れているのか、あるいはそうでもないのかは誰にもわかりません。

でもそれは、多くの野球ファンにとってはどうでもいい事。

多くの野球ファンは、大谷選手がユニークな存在として、
新しい境地を開拓している姿に価値を感じているからです。

別に既存の価値観が間違っていて、新しい価値観が正しいという事ではありません。

ただ今の野球ファンが求めているのは、
そういった、これまでになかった価値なんだと思います。

僕は、こういうのって大谷選手や、野球界にだけ起きている現象ではない気がしています。

既存の価値観が少しずつ存在感をひそめ、新しい価値観が台頭してくる。

例えば働き方に関してもそうで、少し前までは、多くの人が、
「より高い収入」や「よりステータスの高い職」を求めていましたが、
今は少しその状況も変わってきています。

毎日忙しく働くくらいなら、少しくらい収入が低くなってもいいから、
自分の時間が確保できるような働き方がしたい、という若い人はどんどん増えてきています。

「出世したくない」

という若者が増えたのも、重い責任や忙しさによって得られるメリットより、
それらによって被るデメリットを強く意識し始めたからです。

既存の価値観では、
「より高い収入」や「よりステータスの高い職」が良しとされていたけど、
新しい価値観においては、「より自由度の高い生活」や「より精神的に楽な人生」が良しとされている。

しかもそういう価値観が、一般的に認められてきている、と感じます。

もちろんこれも、良い悪いの問題ではありません。

そうではなく、「どの価値観を採用するか」の問題です。

ただ1つ言えるのは、価値観は時代が進むにつれてどんどん多様になっているから、
自分が望む価値観を採用しやすい時代になってきている、という事です。

周りが良しとする人生ではなく、自分が良いと思える人生を追いやすいのが今の時代だし、
さらにはその生き方も認められやすいのが今の時代です。

いったん他者からの評価というフィルターを外し、自分が本当に求めるものは何か、
自分の本当の価値観はどんなものなのかを考えてみると、
これまで見えなかった新しい価値観が見えてくると思います。

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。